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博多の味も世界の味も人間味でつくる

河原 成美
          福岡県出身。1979年レストランバー「AFTER THE RAIN」開店。1985年「博多一風堂」を開店し、翌年に(株)力の源カンパニーを設立。テレビ番組「TVチャンピオン・ラーメン職人選手権」にて3冠達成。2008年のニューヨークを皮切りに、アジア、オーストラリアに出店。2014年にはヨーロッパへ本格進出予定。

川原 正孝
          父は辛子明太子の生みの親、川原俊夫。1979年(株)ふくや入社。1997年代表取締役社長就任。平成15年度消費者志向優良企業経済産業大臣表彰を九州で初めて受賞。2014年、香港に明太子料理をメインにした飲食店「鱈卵屋」をオープン。ふくやの川原家をモデルにしたTVドラマ「めんたいぴりり」も話題を呼んだ。

博多ソウルフードの2トップ、辛子明太子と豚骨ラーメン。
その先頭で時代の風を切る二人のカワハラが、那珂川のほとりで邂逅し、熱く深く、その想いを語り合った。
ぴりりとカタメンな言葉から、次代の食の在り方を味見してほしい。


二人の食の原風景

川原 うちは商店やったから、社員さんと一緒に20人位でいっぺんに食べてたんです。煮込みうどんとか。
   忙しいからみんな立って食べる。早く食べなければ、なくなるわけ(笑)。
   この食事のシーンはすごかったね。だから、おかずは美味しい方から食べます。とられる前に食べる    (笑)。

河原 僕も男4人兄弟で、いちばん下だったから、競争には負けるんですよ。
   だけん、子どもなりに考えて、お袋の横で手伝うわけ。そしたら大きいおかずを選定できるし、
   隠せるやない(笑)。
    そのうち料理がどんどん面白くなって、技術家庭の授業で白ごはんとみそ汁と卵焼き作って、
   先生に褒められてさ。ものすごく嬉しかったですね。

川原 最初に明太子を食べたとき、味見したら辛くてびっくりして。 
   でも、辛い味付けする前のたらこを見つけて、これは辛くないやろうとガツガツ全部食べたわけ。
   そしたら、具合悪くなって(笑)。

河原 最初のラーメンは、小学校2年生の時に親父に久留米で食べさせられたんやけど、
   食べきらんかったです。くさくて。
   豚バラの脂身ばっかりのチャーシュー、子供は食べきらんって。
   あのラーメン屋に3回連れて行かれとったら、ラーメン屋やら絶対してないね。

味には無駄が必要

川原 経営的には創業者の考え方を「経営理念」として、ブレないようにすること。
   創業者がずっと言ってきた「社員さんたちの幸せを考える」。もう、それだけです。

河原 僕も、まずはつぶれないこと。「働いている人たちを幸せに」ということもいつも考えてます。
   あとはお客さんにもっといいサービスがちゃんとできるようになること。
   今、一日5万食、年間約2000万食出てて、
   それは有り難いけど、それだけ一杯一杯に責任がある。
   「一杯のラーメン」「一人のお客様」っていうことを、
   いくら大きくなっても、ずーっと思い続けてやっていかんと、と思います。

川原 50周年のときに、100周年の話をしたんだけど、それ以降、100年を迎えるために今の我々は
   何をしなくちゃいけないか、ずっと考えてる。100年経ったら、ラーメンは残っとるやろうけど、
   明太子は分からんよね。

河原 麺類は残るでしょうけど、かたちは変わっていきますよね。変化して進化したらいいですよね。
   変化して退化したらつまらんから。

川原 明太子はスケソウダラの卵だから、
   環境がどういうふうに変わるか分からない。
   だから、常時我々は「明太子がなくなったら」ってイメージを
   持って動いてる。私の感覚で言うと、明太子の味に合理化は
   したらいかんわけ。山笠がなんで700年以上続いているか。
   結局、無駄なことしてるからですよ。商品を続かせようと
   思ったら、無駄も大事。


河原 賛成。一緒やね。食べ物じゃなくなるもんね。
   工業製品になるんですよね。

川原 無駄なことは、うちや成美さんとこみたいに「味」で勝負するものを作るところは、絶対必要。
   当然、合理化しなくちゃだめなところもあると思いますよ。
   でも、してはいけないところもあると思う。

グローバルに広がるために
ローカルを深く掘る

河原 僕が初めて海外に出たのは98年。
   いつも問題抱えながらやってるけど、日本の食は絶対、
   世界にいけると思ってるのね。原動力は何よりも
   僕自身の好奇心やね。今、年間2000万食だけど、
   僕の夢は、僕らが作るラーメンを1億人の人が食べて
   くれること。それと同時に、作っていくことに対して
   責任を持つことね。
   今基準がガタガタになっとるやない。
   でも俺達が200、300、500って店を
   出していったら、
   その基準が世界の基準になっていくよ。
   それをしたいんですよ。

川原 うちも香港で「鱈卵屋(たららんや)」って、明太子の加工品で作ったお店をオープンしました。
   成美さんにもお世話になって。明太子フランスパンが全国にバーッと出て、
   これは世界でも出るんじゃないかなと。
   これから、食材としての明太子を活かしていきたいですね。

河原 ソースに入れたり、明太子は世界にいけますね。

川原 日本でだめだから海外に行くんじゃなくて、当然、日本で結果を出すのが先決で、
   それから海外に行くってことにせんとね。私はそういう発想だったんだけど。

河原 グローバルに行くためにも、まず自分の足元、ローカルを掘ってほしいですよね。すごく深く。
   「広げる」と言うと拡散していく感じだけど、広げるためには深く掘らんといかん。
   深く掘っていく鋭さと濃密さは、広がっていくのと一緒なんですよね。

人も、味も、博多が原点

河原 ご飯はなるべく一人で食べてほしくないなって僕は思うね。
   みんなで食べることを心がける人が、一人でも多い社会がいいと思います。

川原 食べること自体が幸せだと思うからね。食に関わる者として考えたら、人を幸せにできる味と、
   人を幸せにする雰囲気を、もっと作っていかなくちゃいけない。

河原 一人で食事をする時間が長くなるとね、人間、健康上よくないです。「食べることは大切」って、
   お母さんやお父さんは、子どもさんにしっかり教えてほしいです。
   食べ物に興味を持ってる人は、人が好きですよ。
   みんな人が好きであってほしいし、食べ物が好きであってほしいですね。

川原 そう、食べ物も、人も、博多は最高よね。この原点を忘れんようにせんとね。

河原 お互い、がんばらんといかんですね!

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