筥崎宮 宮司 田村 靖邦

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博多は時の人に磨かれてゆく

筥崎宮の社家である田村家の長男として東京に生まれ、その後、幼少時代を福岡市箱崎で過ごす。
國學院大学神道研修部専攻科卒業後、明治神宮に奉職。1973年3月から筥崎宮に奉職。
1986年3月、第56代筥崎宮宮司に就任。2001年4月、福岡県神社庁長就任。2期を務める。

モダンな現代都市としてのイメージが先行しがちな福岡には、もう一つの顔がある。
記紀の時代に由緒を持つ神社。
千年の杜である筥崎宮に田村宮司を訪ね、古と今を聞いた。
清めの真砂をすくうように。

大陸を向く筥崎宮

筥崎宮の宮司は、私で56代目になります。
創建は諸説ありますが、醍醐天皇の御代である平安時代の延喜21年(921)であったとされています。
大陸に近い博多、箱崎は、国の要衝の地で外国との交易もありましたから、国家鎮護の意味合いもあって、ここに立派な社殿を造られたんでしょう。
だいたい神社は東向き、南向きで建つんですが、筥崎宮は逆で北西を向いています。つまり大陸の方を向いているわけです。
宗像大社、住吉神社も大陸の方を向いて建っていますね。

建物が完成して2年後の延長元年(923)、御神体の八幡様(応神天皇)が、筑前大分宮よりご遷座されました。
最初の元寇、文永の役では、筥崎のお宮も火の海になり、博多湾一帯も炎上してしまいました。
弘安の役では、志賀島でも戦いがありましたね。

炎上した筥崎宮の再興にあたり、1275年に亀山上皇が37枚の「敵国降伏」の御宸筆を下賜されました。
「敵国降伏」とは「敵国を降伏させる」ではなくて「敵国が降伏する」というね。
徳を積んで進めば外から来る災いはまつらう、滅びていくであろう、という解釈ですね。
楼門に掲げてある今の扁額は、御鎮座1080年の平成15年に、筑前領主だった小早川隆景が掲げた扁額を模写して新しく作ったものです。

亀山上皇については、東公園に銅像がありますが、山崎朝雲による木彫りの原型が永年行方不明になっていました。
それが、正力松太郎さんがよみうりランドで保管しておられたんです。

その後、縁あって筥崎宮が譲り受け、現在は東公園の銅像と同じように大陸の方を向けて、お宮の境内に奉安しています。
八幡様はもともと武神、武運の神として、武士に崇敬されてきました。
筥崎宮も、足利尊氏、大内義隆、小早川隆景、豊臣秀吉、黒田歴代藩主の方々から崇敬を頂いてきました。

とくに秀吉は、九州を平定した後、博多の町割りをやりましたね。そのときは筥崎宮に陣をとって滞留しています。
千利休とか博多の豪商の神谷宗湛とかを呼んで、石田三成や小西行長なんかと境内で「筥崎大茶会」を開いています。
それが京都での北野大茶会につながったようですね。
戦時中は、軍人さんが出征するときにお参りにみえていました。
戦後になって、武運の神で「試合に勝つ」ということで、西鉄ライオンズが必勝祈願に来ましてね。
それが続いて、今はソフトバンクホークスから、アビスパ福岡、ライジング福岡、ラグビーでは、九電、コカコーラウエスト、サニックス、いろんなスポーツ選手の方々の参拝も増えていますよ。

放生会と山笠のつながり

博多の町人の方と筥崎宮のつながりが出てくるのは、放生会の「幕出し」あたりからですね。
当時、箱崎は白砂青松の松原ですから、松の木に博多の町内ごとに幕を張り巡らしてね、三味線、太鼓で宴会ですたい(笑)。
これは山笠と関係があってね。
山笠のときは、女性が裏方で一生懸命お手伝いするでしょ。
その御慰労をかねての宴席なんですね。
甲斐性のある旦那衆は、着物を買ってあげて。
この幕出し道中を復活させたのが、昭和50年代に西島伊三雄さんたちがつくった博多町人文化連盟です。
「放生」って、古くは仏教の習俗ですね。
それが神社の行事になっているのが面白いですね。

日本は古くは、神仏習合の国ですからね。
放生会は、参道にずらっと500位の露店が出ます。「相互扶助」といいますか、縁日だから人が出てくるんですね。
お宮だけあっても人は出て来ない。人がお参りするから露店も増えてくる。
露店が増えるからお参りする人も増える、ということですね。
お宮は大勢の方の「おかげ」で、もっているんですよ。

祈りや心にまつわる
歴史的価値を大切にする

福岡の町は大陸文化が入って来たり、歴史的な事柄がいっぱいあったわけですね。遣唐使、遣隋使の時代から。
戦後は、やっぱり食べていくことが大事ですから、経済一辺倒でね。
最近やっと、町の歴史などを大事にしなくちゃいけないってことで、
行政や地元の方など、博多の歴史的な事物に対して非常に
造詣が深くなってきていますね。「博多灯明ウォッチング」とか、博多部のイベントもいいですね。

博多は人々が非常に大陸的でしょ。おおらかで人情味がある。熱しやすく冷めやすいところもありますけどね(笑)。
博多の町は伸びる要素がありますから、これからは、気配りの心を大切にするといいんじゃないでしょうか。
この町にいらっしゃる方に対しての思いやりですね。

それと、博多の町がこれだけ賑やかなのは、三つのお祭りがあるからですよね。
以前、博多に何年かいらっしゃった大手企業の社長さんが「どんたく、山笠、放生会、この三つのお祭りがあるから博多の町の融和と連帯と活性化がある」と言われた。
できるだけ博多の良さを知ってもらうには、お祭りを見て、参加して頂くことじゃないですかね。
今は心が荒んでいくというか、何事も機械的になり過ぎているきらいがありますね。
本来は、「心」の方がいちばん大事ですからね。
福岡市には、歴史のある神社やお寺がたくさんありますから、祈りや心にまつわる歴史的価値も、
この街の魅力につなげていければいいですね。

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