古来から商都として栄えた博多は、その成り立ちからしてグローバル・シティであり、
コスモポリタンたちが集う場であった。
この地から派生したボーダレスな造形集団の末裔ともいえる博多人形師の中村信喬氏に、博多の伝統人形芸術が越境する未来を聞いた。
「ひと」も「まち」もグローバルだった博多
博多はもともと国際貿易都市で、昔は今よりもっとグローバルな町でした。
いろんな技術も入って来るから、細工物を作ったりする造形集団がいたんです。
その集団は技術が高いから、海外から彫刻の注文も受けた。
ヨーロッパの教会彫刻で博多人形らしきものが結構あるんです。
うちの祖父が作ったヨゼフ像等がヨーロッパにいっぱいあります。
海外から発注を受ける造形作家集団というのが、博多人形師のルーツでもあるんですね。
そういうことが知られていないので、僕がヨーロッパで展覧会をしたりすると、グローバルに活動しているように見えるかもしれませんが、商人も人形師も、昔の博多の方がよっぽどグローバルなんですよ。
僕の題材で天正遺欧少年使節というのがあって、一緒に祖父のヨゼフ像と父のモーゼ像を展示したんです。
すごく評判がよかったんです、祖父と父の作品が(笑)。
自分が最先端だと思ってたら、祖父と父がとっくの昔に洒落たかっこいいことをやっていたと(笑)。
みなさんがイメージされている歌舞伎とか童の博多人形は、昭和30〜40年代に流行っただけのものです。
もともと人形のルーツは、天皇の御子とか神像です。
日本の人形は「祈りの対象の像」にいちばん近くて、言わば宗教彫刻なんです。
ヨーロッパの人形は玩具の「DOLL」で、美術工芸品じゃない。
僕は日本工芸会の理事をしていて、人形をローマ字で「NINGYO」にしたんです。
日本の人形を「DOLL」で表現してしまうと、美術工芸品という本来の人形の意味が伝わらないんですね。
人々の祈りや希望を表現する
使命感を受け継ぐ
僕なんかは、父も母も人形師の子で、人形を作るために生まれたと思います。
人は何かに役立つために、そこに生まれて来ると思うんです。
2011年にローマで展覧会をしたとき、
僕が天正遣欧少年使節の人形を作っているので、ローマ法王に謁見、
献上できないかと打診したら、バチカンから「ぜひ献上してくれ」と。
その時のプロデューサーは使節団の伊東マンショの子孫で、法王の
ベネディクト十六世は長崎を訪れられたことがあった。
ほんとに不思議な縁で、面白いですよね。
今ちょうど作っている李藝という最初の朝鮮通信使も、
日本橋で個展をしたとき、北条早雲所縁のお寺のご住職に
「作ってもらえないか」と言われたんです。
日韓関係が複雑なこの時代に、朝鮮通信使を僕が作るのも、
何かに導かれたようで、意味がある。
文化で交流するのが僕らの役目ですから。
今、3Dプリンターの時代になっても、
400年前と変わらない技術で作っていますが、常に今に生きている僕らが今に生きた作品を作らないと、
伝統は続きません。息子もこの家に生まれていますから、できて当然だと思います。
あとは、祖父の代からの精神を受け継げるかどうかです。
息子の同級生がパリのホテルの支配人をしていて、親子二人でパリに山笠みたいな
すごいアートを持って来いと言われています。海外が憧れているのは「JAPAN」であり「HAKATA」なんですよ。
日本や博多にしかない最高のものを持っていけば、必ず評価されると思います。
人形ってね、「豊」の象徴なんです。
幸せになりたいと思う人々の祈りや希望を表現するのが、僕らの使命です。
この使命感を、息子にも引き継いでいきたいですね。